Attack All Around

OTHER

 

きっと、まだ布団を出れず

声も出せずに、泣いている人がいるかな。

 

それでも、朝がきて今日が始まる。

俺もなにを考えて、今日生きていけばいいかわからず

とにかく想いを垂れ流してタイピングしてる。

今日は、パソコンではなくて、久々にスマホで打ち込む気分だ。

 

でも、悲しいとか、辛いとか、俺は書かない。

まだきっと心のどこかで、何かを信じてるから。

 

国民的グループの、活動休止。

 

[①、出会い]

俺が、このグループに出会ったのは2011年。

まだ俺が駆け出しの作曲家の頃。

彼らの楽曲の制作をお願いされたところから始まった。

 

自分がまだ全くの無名の時代に声をかけてくれて

チャンスをくれた最初のメジャーアーティストということになる。

 

音楽を始めたての頃

自分のスタイルを全く誰も認めてもらえなかった中で

あのグループは、よく俺を見つけてくれて

よく誰も知らない少年に曲を書かせてくれたなって

今でも、不思議に思う。

まずあの頃の俺を見つけてくれて、ありがとう。

 

なにを隠そう、当時の俺は作曲業界から、嫌われてた。

”海外共作”というスタンスや、キャンプ形式でチーム制作をしたり、扱うテーマのことで。

よく認めてくれたなって。それをずっと感謝してる。

俺が俺でいられる”きっかけ”を作って、初めに認めてくれた人たちだ。

 

 

[②、チャンスをくれた]

でもお願いされたからには、なににも気を使わず

精一杯、好きにやらせてもらった。

 

まずこれまでの曲を聞こう。そう思って聞いたのは

「MUSIC」 これが俺が初めにきいた曲。

https://www.youtube.com/watch?v=y3qXINoOURI

 

「茶髪の人、声好きだなぁ」

これが一発目に思った感想。

その人がいかせるような曲を作りたくて

「Perfect」という、ラブソングを書いた。

完全に茶髪の人のキーに重心をかえた。

 

「女性の方、サビの声好きだなぁ」

と思ったから、

ほとんどサビしかない曲を作った。

Bメロとかいらないでしょとかいいながら作った「Last love」という曲。

 

「これからのAvex Soundを自由に書いてくれ」

と言われてできたのは

「Still love you」という楽曲。

ストラクチャーも、音色も圧倒的に減らした。

このグループは、声がいいから、無駄な音はいらない。

それまでの曲は60チャンネルくらい楽器を使ってたらしいけど

俺は8チャンネルで作った。

信じて作った曲。

 

大抵の場合は、

「もっとキャッチーに」とか

とか「Bメロたす」とか、「音数ふやせ」

とか、言われてきたけど

彼らは、なんと、そのまま曲を使ってくれた。

 

それはなんでだったんだろう。

もしかしたら、それも

Attack All Around

だったのかもしれない。

 

 

[③、分厚いクチビル。分厚い企画書]

「Still love you」がリリースされる頃の話。

グループのメンバーさんのうちの一人の方が

俺に会いたいらしいっていう連絡が来たので

時間を作った。

 

深夜、渋谷の居酒屋。

ボーカルの茶髪のお兄さんが来た。

とっても、分厚いクチビルで

とっても、分厚い、企画書を持って

いろいろなプレゼンをしてくれた。

 

みんな”分厚い”というと

どれくらいを想像するだろう?

俺のみた、分厚いは、”本やん”って心で突っ込むほどのものだった。

 

グループの歴史の話。

メンバーの話。

これまでの活動の話。

好きな音楽。

未来の地図。

夢。

その、分厚い本には、”夢”と”現実”が沢山描かれていて

しかもその企画書は、お兄さん本人が

全部自分で作った企画書らしい。

 

一生懸命で、カッコ良くて

とても想いが伝わってきた。

今まで、あんなに分厚い企画書をかくアーティストを

俺は見たことがない。

ただ、プレゼンが2時間くらい経って

分厚すぎてホチキスもとれてしまったから

 

「俺は、なにを手伝えばいいですか??」

って聞いてみたら

「一緒にソロの曲を作って欲しいです」

お兄さんがそう言ってくれた。

告白みたいだった。

 

なんかすごくドキドキしたから

俺もお兄さんを笑顔にしたいなと思って

「じゃあ今から作りましょう」

って言ってみたら、びっくりしてくれて嬉しかった。

 

本当に、その日の朝までに

一緒に曲を書き終えた。

「どうしようか?」

という自分にとって、人生に残る曲。

本当に幸せそうに笑ってくれた。俺も幸せ。

 

「そいえば、俺、なんて呼べばいいですか?」

と帰り際側に聞いたら

「ニッシーでいいですよ」って言ってくれた。

 

 

[④、チャンス]

チャンスをくれたのは、西島さんだけじゃない。

WHITE JAMがデビューするときには

日高さんは、一緒に喜んでくれて、ラジオにまでよんでくれた。

初めて、”WHITE JAM”っていう名前を

電波上で全国区にしてくれたのは、あの人だ。

 

そして、自分たちが作ってきた大切なイベントにも

何度も出てくれた。簡単なことじゃない。

インディーアーティストたちのイベントに、あの人が出るなんて

普通にパニックだったよね。

 

でもそのおかげで

スカイハイさんのライブを見て、

俺らの世代のアーティストは、たくさん学ばせてもらったし。

このジャンルに、夢を見たアーティストは

俺が知ってるだけでも

400組以上いる。

 

日高さんはレーベルもやっていて

下の世代のアーティストをずっとすごく大切にしてる。

でも、こういう本格的な功績は

あまり語られないし、また言わないところがかっこいい。

HIP HOP, ROCK, ダンスボーカル、そして世代

様々なジャンルをつなぐ、架け橋。

日本の音楽にとって、日高さんはとても貴重な存在だ。

 

どこから、どう切り取っても

あのグループが与えた影響、夢は計り知れない。

 

メンバー皆さんも

俺のスタジオにお見上げ持って来てくれたり

自分が言ったギャグを拾ってくれたり

トイレですれ違っただけで、めっちゃ感謝してくれたり

本当に愛情溢れてる人たちだよ。

そして、本当に音楽が好きな人たち。

チャンスをくれる人たち。

挑戦をする人たち。

 

 

[⑥、休止]

そんな素敵なグループと出会って

8年半が経った、今日。

2020年1月15日。

休止を発表なさった。

 

俺も、まだなにをどうリアクションしていいかも

わからないし、まず現実なのかもわからない。

現実なのかな?

でも、今日という日を境に

音楽業界、何かが変わるのはわかる。

それだけ影響力のある、とんでもないグループだから。

 

ただ1つ安心したのは、健康問題のことじゃなくて良かった。

ニュース記事を開くとき一番最初によぎったのは、そのことだったから。

元気でいてさえくれれば、またきっとあのグループは

戻ってきてくれる。

 

[⑦、Attack all around]

これまで、たくさん人を幸せにしてきたから

たくさん幸せになってほしい。

15年も休まず、ときには、玄関で倒れ寝るような日々を

毎日頑張って生き抜いて

自分たちの力で挑戦して、夢を掴んで

たくさんの人や、俺みたいなやつにまで

夢をくれたようなグループなのだから。

 

 

きっと、まだ布団を出れず

声も出せずに、泣いている人がいるかな。

 

それでも、朝がきて今日が始まる。

なにを考えて、今日生きればいいかわからないけど

俺は、そろそろ、布団からでるね。

 

きっとアイデアマンの彼らのことだから

何か次も、その次も、目指すものがあるよ。

分厚いクチビルのお兄さんは今頃また、分厚い分厚い、企画書を書いてるよ。

そのための充電だと

そう信じてる。それまでは

 

“Attack all around”

俺も今日から、なにかに挑戦してみよう。

あのグループが教えてくれたから。

AAAという、日本で一番かっこいいグループが。

 

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あとがき。

 

あれからも茶髪のお兄さんは、たくさん貴重な制作を

経験させてくれた。

どんなけ忙しくっても

作品がリリースされる頃には、ボロボロのチラシをオレンチまで

持ってきてくれた。

 

ぜったい忙しいのに

アルバムが出たときには、俺に手紙を送ってくれた。

そんな、西島さんのことを、天狗だとか書いた人がいるけど

そんなこと書いても、誰も信じないよね。

誰に対しても、どんな時でも、

ニッシーは、めっちゃくちゃ優しいから。

 

そして、まだまだ2020年。

今年ツアーを開催しはるので

俺もニッシーたちの生の声をききにいきたい。

そして、ありがとうって伝えに行こう。^^

 

 

 

 

 

 

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WHITE JAM Music Video

https://www.youtube.com/watch?v=v5cfeEvc4rw